このコーナーでは、ゴルフ界を牽引する世界の名選手や往年の名手が語った珠玉の名言を、隔月で紹介していきます。ゴルフ界を席巻し、名を馳せた名プレイヤーの才能と人間味が感じられる、数々の魅力的な格言。これらの言葉の生まれた背景には、彼らの人格、品性、生き様などが映し出されているようです。その技術、体力、精神力を言葉から紐解いて、ご自身のゴルフ魂に火を灯してみては。
第2回目の「名言こぼれ話」は、1930年に当時の世界4大タイトルであった『全米アマ』『全英アマ』『全米オープン』『全英オープン』を制覇した唯一のグランドスラマー、ボビー・ジョーンズです。
年間グランドスラムを達成した7週間後、28歳で現役引退を表明したあとも、本職の弁護士業務に専念する傍ら、メジャートーナメントのひとつとなったマスターズの創設とその後の発展、世界一のゴルフコース、オーガスタ・ナショナルの設計に関わるなど、ゴルフ界をリードする存在でした。知性と教養に富み、思慮深く、フェアプレーとスポーツマンシップの持ち主として尊敬に値する彼の品格が、数々の言葉から感じ得られるはずです。
よいタイミングは、決して早急なスイングからは生まれない。
―ゴルフスイングに重要なものは、よいタイミングでクラブが振られることである。早いテークバックからは、よいタイミングは生まれない。早いスイングは、クラブヘッドが正確な軌道をたどれないこと、インパクトで最大のヘッドスピードを出すことができない欠陥がある。 打ち急がず、ゆっくりとしたタイミングで、一球一球大切に振ることからナイスショットは生まれるのだ。
多くのショットが最後の瞬間にめちゃくちゃになる。あと数ヤード距離を飛ばしたいと欲張るために。
―最後にもう少し飛ばしてやろうなどという試みは、今までのショットを台無しにしてしまい、結果失敗に陥る。無心に、ただただ今のショットだけに集中してボールを打て、ということだろう。しかし頭ではその理論を理解はできたとしても、実際にどのような意識で何をすればよいのか、実行は難しいといえる。 毎回のショットで、無我夢中に一生懸命クラブを振ろうなどということは、一介のゴルファーにとってはできようがない。なぜならゴルファーがスイングするとき、ミスショットへの不安、身体の動かし方、距離や方向など、様々なことを考える傾向にあるからだが、そのことにすら気づいていない場合が多いからだ。
コースに出る前はいつも緊張した。そうでなかったら何もできなかっただろう。なにも感じない日は勝てなかった。
―勝負を前に、不安を感じること、自信に満ちてくる感覚など、さまざまな感覚が湧いてくるということだろう。精神を集中させて気を引き締め、気合を入れてベストな状態に追い込んでいくことで、いまだ誰にもなし得ない、ビッグタイトルを得ることになったのだろう。
私はオールドマン・パーを発見してから勝てるようになった。
―若いころは、思い通りにうまくいかないと、ゴルフクラブを投げつけるようなプレーヤーだった。1921年の全英オープンでは、大叩きしたことに腹を立て、スコアカードを破り捨てて最後までプレーすることなく棄権してしまう。その後、USGA会長から、今のままでは今後USGA主催のトーナメントへの出場を許可することを認めないというような内容の手紙を受け取り、深く反省することになる。
以降、「オールドマン・パー(パーおじさん)」理論のゴルフ哲学をもつ。自分を見失いがちな時、本来の相手(コースのパー)を目標にすることで、同伴者に惑わされることなく自分のプレーができるようになるのだ。
人生の最後に一番大事なのは、どれだけの財産を得たか、ではない。何人のゴルフ仲間を得たかである。
―ジョーンズはゴルフ史上、空前絶後の大記録を残した。しかし、そのことよりも、晩年ゴルフ友達と過ごした日々の方に価値があるという。
ジョーンズは早々に現役を引退し、晩年は、故郷のアトランタで何人かの親しい友人とゴルフに興じて人生の幕を下ろした。マスターズ創設の発端は、故郷にゴルフコースをつくり友人を招いてゴルフをしよう、というのが始まりだったそうだ。またそれを発案し、盛り立てていったのもゴルフ仲間だったのである。
ボビー・ジョーンズ Bobby Jones プロフィール
本名は、ロバート・タイアー・ジョーンズ・ジュニア(Robert Tyre Jones, Jr.)。アメリカ・ジョージア州出身のゴルファー、弁護士。9歳でジュニア競技にデビュー。1923年、21歳で全米オープン優勝後、メジャー競技に13勝。1930年、年間グランドスラムを達成後、28歳の若さで引退。翌年、アリスター・マッケンジーとオーガスタ・ ナショナルGCの造成に着手。34年、マスターズ・トーナメントの第1回大会となる招待競技を開催。球聖として世界中のゴルファーから尊敬されている。